意味わかんない

 
昨日たけちっちが、会社の人からある署名用紙をもらってきました。
 
そこには、ある公立小学校の普通学級に在籍する障害のある子が、その市の教育委員会の方針で、学校内で迫害されているというものでした。(そういう表現はされていませんでしたが、あたしにはそう感じられる内容でした。)
 
以下は、ネット上にあった、その文章の抜粋です。
 
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成田市立公津の杜小学校に通う渡辺純くんは重度の障害がありますが、地域の普通学級に通っています。
しかし成田市は障害を持つ子の「介助」はしないという方針が徹底していて、担任と養護補助員もいますが、給食もたべさせてもらえず、一口の水も飲ませてもらえないという状況だそうです。保護者が付き添いを辞めたあとに新しく付き添った養護補助員は、自然なかかわりの中で水分補給を行っていましたが、市教委は2月の終わりにそれを禁止しました。その経緯についても1ヶ月以上説明もしませんでした。現在、給食だけは親が付き添っているようです。
これから暑い日が続く中、それでも半日飲まなくても命にかかわるかわからないと言い水を飲ませることは出来ないと言っているそうです。
 
1・渡邊純くんの水分補給を行ってください。
2.渡邊純くんが、親の付き添いなしで安心して学校生活が送れるように、成田市教育委員会と学校全体で取り組みを進めてください。
3.子どもの命と安全に関わる上記要望を速やかに実現させるため、成田市における子どもの人権にいついての基本姿勢を明らかにしてください。
     渡邊純くんの親の付き添いをなくす会
 
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先生たちが悪いのではないようです。
 
隣には担任の先生もいるし、養護補助員もいて、時々養護教員や教頭先生も様子をみに来てくれるけど、成田市教育委員会の方針で、普通学級では教職員の介助行為を禁止しているそうで、手を出せないのです。
授業の配慮はしても、水を飲ませたりご飯を食べさせることは教職員の仕事ではないからと。
 
純君のお友達で同じように障害を持っている子も、自分で給食が食べられないからと給食時間には職員室に連れて行かれたそうですが、その子が福岡に引っ越すと、新しい学校では周りの先生が当たり前に助けてくれて、差別されることなく、親が給食を食べさせに毎日通うこともなく、楽しく学校生活が送れているそうです。
 
予算とか、人的資源が足りないとか、そういう物理的な条件が足りないから今はできないという理由ならば、それまで親が介助してくださいというのもわからなくはありません。
でも、手を貸せる人は周りにたくさんいるのです。
みんな、当たり前に手を貸してあげたいと思っているのです。
 
それを止めなければいけない教育委員会の意図は何なのでしょうか?
 
障害を持っている子は、有無を言わさずに養護学校に行ってくださいということなのでしょうか?
もちろん、障害の種類や程度によっては、子供のために養護学校を選択したほうがいい場合もあります。
でも、純君はもう入学していて、みんなと一緒に勉強しているのです。
その環境を整えるために、きちんと養護補助員が配置されているのです。
 
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水分補給について、6月に教育委員会と話し合いを行いました。(中略)「脱水症状になったり、具合が悪くなったりしたらどうするのか。」という問いに、「そんなことまで想定して考えていなかった。」と。
 
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自分で水が飲めない状態の子に、脱水になる危険性もあるのに親が給食を食べさせに来る時間まで水分を与えないという方針に、なにかメリットがあるのでしょうか?
 
そんな状態を見ている子供たちは、何を感じるでしょうか?
 
そんな冷たい自治体には住みたいとは、あたしは思いません。
 
そんな大人の姿を子供たちに見せたくないし、我が子の命の安全が守れるかどうかだってわからない。
 
あたしが子供の頃、学校には、知的障害の子がいたり、脳性麻痺で手や足が不自由な子がいましたが、その子達は、あたしたちにとっては友達でしかありませんでした。
 
低学年の頃は先生ができないことを手伝っていたんだと思うし、ある程度の年齢になったら、大人がしていたように、周りの子供がさりげなく当たり前に手助けしていたはずです。
 
特別意識して覚えていることではないですけど。
 
それを、わざわざあの子は自分とは違うんだって子供たちに教えて、「自分でできない子は、みんなと一緒の扱いはしない。」という姿勢は、子供たちにに何を感じさせるのでしょうか?
 
社会にでれば、障害を持った人も、子供もお年よりも、自分ではできないことを人に助けてもらいながら生きているのに。
 
あたしには理解できません。